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世界を極めた男 金メダリスト葭原 滋男インタビュー・後編

左:キャンディーズインターナショナル代表石井 右:葭原選手

世界を極めた男 金メダリスト葭原 滋男インタビュー・前編はこちら

石井:その後、晴れの舞台になるシドニー・パラリンピックになりますね。
葭原滋男(よしはらしげお・以下葭原):2年間スゲエ苦しいトレーニングをやってきたんで、やっとゴールが見えてきたなという気持ち。目標はここで勝つためにやってきたから。そういう気持ちが強かった。
前の日にスプリント(編集者注:1周を1対1で勝ち負けをつける競技)で銀でその時の共同記者会見で、明日のレースに勝つためにここにやってきたんだって話したんです。日本の監督さんが凄い感激してくれて、日本人でこういうことを言えるような人が出てきたんだなって。
石井:自信はあったのですね。
葭原:自信があったというか、絶対にやろうって。
石井:銀メダルを獲得してプレッシャーもあったと思いますが。
葭原:緊張感はあるんだけど良い緊張感で迎えられた。凄い高いモチベーションで迎えられたんです。高跳びをやっている時から本番で自己ベストが出る。そういうところが自分の特徴かな。本番を迎える時も俺は本番に強い男でここで自己ベストを出すっていう気持ち。
石井:相手との戦いもありますが、自分自身との戦いがあるということでしょうか。
葭原:うん。自転車競技は見えないということもあって自分との戦いというのが強い。1回ペダルに注ぐ力を抜けばそこでスピードは落ちる。そこで力を抜かないで最後の最後の1こぎまで力を注ぐというのが自転車競技の難しいところ。その辺が自分との戦いなんです。
石井:そしてついに世界新記録を出す訳ですが、いかがでしたでしょうか。
葭原:まずゴールをした時にやっと終わったと思った。ゴールした後、半周くらいしてその方角に電光掲示板があって、その時一緒に乗っているパイロットがワールドレコードだって言ってそこで初めて勝ったということが分かった。
石井:その時の気持ちはいかがでしたでしょうか。
葭原:その時は感動だね。やったぜという感じで。(しばしの沈黙)
石井:シドニー・パラリンピックを終えて次はどうしようと考えたのですか?
葭原:もうそこで引退のはずだった。自分としてももう辞めようって。世界記録を出すと周りが許してくれなくて、もっとやろうよやろうよって言われた。そういう声に負けたんです。1年間は休んで2年後の世界選手権があってそこで復帰したんです。そこでもある程度の記録が出て、あぁまだ出来るなって。もう1回やってみようかなって思ったんです。
石井:アテネ・パラリンピックの前に骨折をしたとうかがいました。その情報を知った時は凍ってしまいました。
葭原:鎖骨骨折をした訳だけれど、その日からパートナーのパイロットを変えたばっかりだった。練習を始めたところで落車して骨折したんです。ヤベエぞって思った。もう間に合わないじゃんっていう感じ。それが2004年4月。
石井:2004年4月というと、パラリンピックまで半年を切ってあまり時間がないですよね。
葭原:骨折した翌日にパラリンピック出場の内定をもらったんです。内定をもらった時にマスコミから電話がかかってきておめでとうございますって言われて、あっありがとうございます。昨日骨折しましたって伝えた。腕は使えなくても足は動かせる訳で実際に走ることはなかったけれど固定バイクで出来ることをやっていた。
石井:その他、競技人生で怪我はあったのですか?
葭原:しばらくして自転車にも乗れるようになったんだけど、ピッチ上げてハードトレーニングをしてたら、練習中に心臓がズキュンと痛くなっちゃった。医者に行って診察を受けてそこで特発性心房細動って診断を受けた。心臓がオーバーヒートした感じ。それがアテネの1ヶ月前。
石井:1ヶ月前ですか?!そういう波乱があって迎えたアテネだったのですね。
葭原:日本選手団として連れて行こうか連れていかないかということになった。とりあえずドクターつきで行こうということになったんです。そういう判断をしてくれました。本番当日も横にドクターがいたんです。パートナーのパイロットとのコンビネーションも上手く合わせられなくて、上手くいかないうちに本番を迎えちゃった。心臓のこともあったので、ドクターが同行していたんです。
石井:それで見事銀メダルを取る訳ですが、いかがでしたでしょうか。
葭原:最後の最後にコンビネーションがバッチリ合って、やっと合ったねってそれが最初の感想。(しばしの沈黙)

石井:ブラインドサッカーに出会われて日本代表にもなりますね。ブラインドサッカーとはどのようにして出会われたのですか?
葭原:2002年に横浜でブラインドサッカーの講習会があるのを友達から聞いて、こういうのがあるらしいよって教えてくれたんです。学生時代もサッカーをやっていたんだけれど、見えなくてもサッカーが出来るんだって思って行ってみようということになったんです。
石井:その後:日本選手権に出られますよね。
葭原:2003年の第1回日本選手権。東京マスターズとして出て準優勝だったね。(インタビュアー石井は葭原選手と同じチームとして出場)アテネの時はもう41歳。もう競技は引退だろうって思っていた。
石井:また引退って言ったのですね。(苦笑)
葭原:アテネまでは自転車に集中したかった。その後はやってやろうと思ってブラインドサッカーに集中した。
石井:その時はブラインドサッカーで世界とやってみたいというのは視野に入っていたのですか?
葭原:入っていた。可能性はあるなって。入れるように頑張ってみようと。学生時代はずっとサッカーをやってきて、何か青春時代が蘇った感じがした。それが一番大きかったんです。続いてるような気がして。
石井:その後日本代表に選出されますよね。
葭原:なかなか日本代表に入れなかった。2006年にギリシアのテッサロニキで国際試合があったんです。その大会に日本選抜として出場した。(インタビュアー石井も同じチームで出場)アブディン(スーダン出身の選手)も一緒に。世界でも何か出来るんじゃないかってね。大会の後、ブラインドサッカーでも世界に行きたいなって。そういう気持ちが強くなったんです。
石井:それまでは陸上は1人、タンデム自転車は2人、そしてブラインドサッカーは5人。チームとして人数が増えてきましたけれど何か変化はあったのでしょうか。
葭原:年齢と共に1人ではなかなか出来ない。チームプレーだったら自分も貢献できるんじゃないかと。良い意味で人の力を使って一緒に世界にチャレンジしたいっていう気持ちがあった。2007年にアジア選手権(北京・パラリンピック・ブラインドサッカー・アジア最終予選韓国大会)を応援しに行って、目の前で切符を取れるものだと思っていた。スタンドで応援しながら次の北京パラリンピックの選手選考会に挑戦して、次は俺が世界を目指す番だと思っていた。でも、まさかの敗退。1992年から続いた自分自身のパラリンピック出場も消えたと思った。
石井:どのようにリスタートしたのでしょうか。
葭原:2007年にはブラジルのサンパウロでおこなわれた「IBSA World Games」(国際視覚障害者競技大会)と韓国でおこなわれたアジア選手権(上記韓国大会)の2つの国際大会があったんです。仕事もそんなに休めないから年間1つの大会と決めていた。先に開催されたサンパウロでの大会に出たんです。パラリンピックの予選の韓国大会は絶対大丈夫だと思っていて韓国に応援しに行った。韓国大会に出れば良かったなっていう気持ちがあった。(しばしの沈黙)
石井:サンパウロでの世界大会はいかがでしたか?
葭原:スペインに初めて勝ったんだよね。勝った時はそれはもう最高だった。ブラジル戦にも出てボールをゴール前まで持ち込んで、ディフェンスの股の間を狙ってシュートすれば入るだろうっていうシーンもあった。試合が終わって後悔した。今でも残ってる。
石井:次は2009年のイングランド世界選手権予選となるアジア選手権になりますね。あれですね。
葭原:そう、マレーシア戦でのハットトリック。公式な記録では3分間。
石井:これ、日本では新記録だと思うのですけれど、世界の国際大会でも新記録かもしれませんね。(笑)
葭原:(笑)アジアを突破して世界選手権に行くんだけれどその時も2つの国際大会は仕事もあって出れなかった。そうして広州のアジア・パラリンピックに出たんです。
石井:仕事があると難しいのですね。そうすると競技と仕事の両立は大変になりますね。
葭原:どっちを選ぶかっていうのはどうしても天秤にかけるしかない。その辺がずっと中途半端だったというのはあった。競技を取りたいけれど取り切れない。仕事に行こうと思っても自分が許せないって。でも、一番犠牲になったのは家族。家族・競技・仕事という3つのバランスを取らなければいけない。
石井:長い競技人生でどうやってモチベーションをキープしたのですか?
葭原:一番は目標設定だよね。自分が絶対欲しいものを何かってしっかり持つ。そのためにどうするか決める。苦しいって時はまだ足元にいる。歩いているんだったら半歩出してそれに集中する。遠くは見ないようにしてその一歩をどうやって出そうかということに集中する。一歩一歩確実に歩いていくと段々気持ちが落ち着いてきて遠くが見えるようになる。
石井:胸に手を当てると痛いです。(苦笑)そしてロンドン・パラリンピック予選となった仙台でのアジア選手権で敗退してしまいました。
葭原:そこでまたダメで完全に(パラリンピック出場は)途絶えたなって。
石井:引き分け以上でパラリンピック出場となったイラン戦ですが、0-2とリードされて終了直前葭原選手がPKを蹴ることになりましたね。
葭原:PKをもらって寒かったのもあって、蹴る前は身体が完全に固まってた。それで集中し切れないで蹴った。蹴り損なって、自分は何やっちゃったんだろうって。これからどう過ごそうかなって。これで次のパラまでないんだなって。試合後はアイマスクを取れなかったね。泣いてたから。(しばしの沈黙)
石井:タブーなしで聞きたいのですけれど、なぜブラインドサッカー日本代表はパラリンピックに出れないと思われますか?
葭原:一番は競技者としてメンタルが弱い。絶対点を取るぞっていう気持ちがまだまだ弱い。日本代表のプレーっていうのは凄い綺麗。綺麗なんだけど、それじゃ勝てない。そこをもう一つ乗り越えないといけないって強く感じる。
石井:今のブラインドサッカー日本代表をどう思われますか?
葭原:監督が替わって分からないこともあるけれど、ゴールを取るということに集中する必要がある。泥臭く、きたねぇぞって言われてもかまわないくらい。そういう気持ちで行く必要があるんじゃないかな。
石井:現在はブラインドサッカーの乃木坂ナイツというチームで活動していますが、目標は何になるのでしょうか。
葭原:毎週水曜日の夜に練習して試合に備えている。ブラインドサッカーだけじゃなくて他のブラインドスポーツにも積極的に参加している。将来はブラインドスポーツの発信基地にしたいね。練習参加は自由なので健常者障害者に関係なくどんどん参加して欲しい。

石井:障害者、健常者という枠ではなく、全てのアスリートに向けてメッセージをお願いします。
葭原:自分のやりたいと思ったことは夢や目標を立てて最後までやって欲しい。やり切るのがカッコイイかなって。そういうカッコイイところをみんなにみせて欲しい。それを見て感動してもらえることで社会は変わっていくんじゃないかな。
石井:子供達に向けてメッセージをお願いします。
葭原:一所懸命やっている姿をみることによって何かを感じると思う。それで自分もやってみたいと思ったらとりあえずやってみてほしい。何でも良いと思うんだよね、やってみたいと思ったら。それが夢や目標につながるよ。 
石井:2020年の東京・オリンピック・パラリンピックについてどう思われますか?
葭原:東京でやるというのは自分が生きている内は絶対最後だと思う。何らかの形で関わっていきたい。もちろん競技者としても考えてるし、他の形でも貢献したい。
石井:2020年のオリンピック・パラリンピックはほぼ間違いなくきます。その後日本のスポーツ界や社会はどのような変化が求められますか?
2020年をきっかけに社会全体が障害者に対しての意識が変わってくれると嬉しい。今の日本の社会は障害者に限らず困っている人に対して声をかけるのが少ない。誰か声をかけてやってくれるだろうって。場合によっては見なかったことにしちゃおうとか。障害者に限らず困った人がいれば自然に声をかけられるような社会になって欲しい。2020年はそのきっかけになっていくのではと思う。そういうところに自分も何かしらの貢献をしていきたい。
(2017年3月23日都内にて)

編集後記
葭原選手と私の出会いはインタビューの中にある横浜でのブラインドサッカーの講習会だった。ランチを一緒にとり、その時自己紹介をして下さりパラリンピック金メダリストという話を伺った。「こんな人と同席していいのだろうか」と思った。その後、足を引っ張る可能性を感じながらも日本で初めてのブラインドサッカー日本選手権で同じチームで戦うことが出来た。
その後、ギリシア・テッサロニキでの国際大会にも一緒に出場することが出来た。そして何度となく杯を交わすことが出来、幸運な出会いだった。インタビューをしていて感じるのは金メダリストではあるが非常に謙虚で人格者ということを感じさせてくれる。企業やブラインドサッカーで葭原選手に出会った後、トレーニングジムに一緒に行った。同じメニュー-それはウェイトを軽くして-をおこなったが、私は途中で貧血っぽくなってしまいリタイアした思い出がある。非常にストイックに自らを追い込む姿は殺気さえ感じる。その裏側には挫折とチャレンジの繰り返しがあり、そして世界新記録を出し金メダルを獲得する栄光につながる。
インタビュー前日は怪我を抱えながらもブラインドサッカーの練習をおこなうなどそこには妥協がない。
講演会ではユーモアを交えながら世界で戦った偉大な選手の声が生で感じられる。多くの団体はもちろん、子供達にも講演会で直接葭原選手の言葉を聞いて欲しい。必ずや多くのことを感じられるはずだ。

キャンディーズインターナショナル株式会社代表・作家・石井宏幸

アソシエイト講演会では選手の講演会の募集をしております。このインタビューでは語られなかったことや、実際に葭原選手の生の声を聞いて頂き何かを感じて頂ければと思います。ご関心がありましたらキャンディーズインターナショナル株式会社 アソシエイト講演会までお気軽にお問い合わせ下さい。

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