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石井個人のブログ

弊社代表・石井宏幸がサッカージャーナリスト宇都宮徹壱さんが主催するウェブマガジン「タグマ!」に登壇しました!

弊社代表・石井宏幸がサッカージャーナリスト宇都宮徹壱さんが主催するウェブマガジン「タグマ!」に登壇しました!


宇都宮さん2017年10月22日
憧れの宇都宮さんとの記念写真!嬉しかったです!

「タグマ!」 特別座談会「スタンド目線で語る20年前の歓喜」 サポーターはジョホールバルで何を見たのか?

皆様記憶に残っているかと思いますが、サッカー日本代表が初めてFIFAサッカーワールドカップへ出場を決めた歴史的試合が1997年11月16日にマレーシア・ジョホールバルにて開催されました。
最終予選では苦戦を強いられ、監督の退任劇、ホームゲームのUAE戦では暴動も発生するという異常事態。僕もその試合を観に行きましたが、器物破損こそしませんでしたが椅子をバシバシと蹴り飛ばしていました。
当時のバックグラウンドとしてドーハでの敗退を繰り返してはならない、2002年に日韓ワールドカップ開催が決定していて、自力出場をしていない日本が開催してもいいのかという今思うと過度な期待をする風潮が現にありました。裏を返せば「今の日本代表なら必ずやってくれるだろう」という絶大なる期待があったということでしょう。
そしてマレーシア・ジョホールバルで第3位決定戦、日本対イランがおこなわれました。それがかの伝説的な「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる試合です。国内での視聴率は実に47.9%!NHKで実況した山本浩アナが延長戦直前に残したあまりにも有名なコメントがあります。
「円陣を組んで今散った日本代表は私達にとって彼らではありません。これは私達そのものです」
このような名言を残したということが日本にとって大切な試合だったということを物語っているでしょう。日本サッカーの40年以上に及ぶ歴史を塗り替えた瞬間ですから。
結果はご存知のように強敵イランを野人・岡野選手(いろいろあったにしろ)が延長戦後半終了間際に劇的なゴールデンゴールを決め、3-2というスコアで初のワールドカップへのチケットを手にしました!


写真:「ジョホールバルの歓喜」翌日のスポーツ紙1面

それから20年という節目を迎え、サッカージャーナリストである宇都宮徹壱さんの主催による、当時会場にいてその試合を観た5人が座談会をおこないました。サポーター視点という珍しいというか奇抜な企画です!こういう話は専門雑誌などにはあまり紹介されていません。皆弾丸ツアーですからそのドタバタ劇やスタンドの雰囲気など、今まで明らかにされなかった証言が色々と飛び出しました。

サッカー界のオピニオンリーダーである宇都宮さんと会ったのは今回で3回目。最初は1999年11月30日におこなわれたTOYOTA CAPマンチェスターU対パルメイラスの試合の後にサッカーの先輩と一緒に参加した飲み会でした。(試合は1-0でマンU勝利)挨拶はしたものの、現在日本のサッカージャーナリズムの世界で極めて影響力の高いフォトグラファー・ジャーナリストを前にするとビビって挨拶はしたものの会話はあまり出来ませんでした。
2回目はブラインドサッカーの取材の時。飲み会もご一緒させて頂き、そこではフランクに接して頂いて幸せな時間でした。

宇都宮さんは著書『ディナモ・フットボール』(みすず書房)に代表されるようにサッカーというカルチャーを深く洞察しています。
視力がある時に一度宇都宮さんの写真展を観させて頂きましたが、サポーターの生き生きする笑顔、そしていささかクレージーな方々の写真を楽しく観させて頂きました。

宇都宮さんはサッカーはその規模の大小に関わらず、国や地域にとって大切な「カルチャー」であるということを教えてくれます。一般のジャーナリストですと試合の模様を取材します。しかし宇都宮さんは「Inside of the Field」に止まらず「Outside of the Field」も取材して私達に魅力ある情報を提供してくれます。
優秀なサッカージャーナリストであればサッカーを「観た」という感じも与えてくれますが、宇都宮さんの場合はスタジアムに向かう町中、高揚した気持ちで会場を待つ時間などといったことを含めた「スタジアムに行って観た」という臨場感を感じさせてくれます。
その点では前者のジャーナリストとは全く異質です。つまり、サッカーとはフィールドのみではなく、サッカーを取り巻く全てがその国々や地域のハレとケというような「カルチャー」だからです。
そして試合のレポートも丹念に取材を重ね、実に緻密なものになっています。そして厳しい指摘もしばしばあり説得力に溢れています。

視力がない僕にとってはサッカーをテレビや会場で観た後、そのレポートを読むとヴィジュアルが浮かんできてスタジアムで観たというヴァーチャルな体験をさせてくれます。そしてそれは秀逸なドラマチックな文学的表現にも溢れています。

そして憧れの宇都宮さんが主催しているウェブマガジンの規格で「ジョホールバルの歓喜」を生で目撃した5名と宇都宮さんによる座談会を開くということになり、僭越ながら参加させて頂きました。

■座談会の記事はこちらからご覧下さい!■
宇都宮徹壱ウェブマガジン 「タグマ!」

僕を含めた3人は1泊3日という弾丸ツアーで一緒になった仲間。そのツアーで初めてお会いしたメンバーです。しかもそのツアーに参加したメンバーは2、3日前にたまたま奇跡的に空きが出て即決して申し込んでいます。仕事があるのに情報流れた瞬間電話しました。僕が最大限リスペクトしているドーハで最後まで戦った選手達のことや、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の寒風吹き荒れるスタジアムで応援していて、今行かないでどうするという気持ちがありました。
他2人の女性は独自にジョホールバルに入ったということです。ここのエピソードも面白い!
信じられないことに宇都宮さんは当時フリーのジャーナリストになった直後で展覧会の仕事で韓国にいたようで、テレビ放映を観たものの詳細な結果が分からず、日本に慌てて電話して確認するという、現在日本代表を取材する代表的なジャーナリストとしては考えられないようなことを苦笑交じりに語っていました。

そして座談会が始まると出るは出るは当時の知られざる事実の数々!とても20年前の出来事とは思えない。昨晩試合を観たような熱いトークが繰り広げられました。僕も当時を思い出しエキサイトしてしまいました!ちなみにビール飲んでもOKということでもちろん飲みました!だけれど失言がなかったかと心配。
そして興味のない人にはガラクタにも写ってしまうかもしれませんが、サッカーファンにとってはお宝の数々も持ち合ってきました。
当時の新聞やチケットの半券ならお宝に感じるかもしれませんが、当時は紙吹雪が許されていたのでその現物。そして膨らまして応援に使う青いゴミ袋件、紙吹雪回収用のアイテム。旅行日程表などなど。正直どうでもいいようなものが当時を忍ばせてくれます!

当時現場で何が起こったのか、詳細に渡り座談会が進み、貴重な証言も多く飛び出し、臨場感溢れる座談会になっています。20年経過してその出来事が風化しないようにこの座談会を開催したのは貴重で、当時を知る人、知らない人にとっても日本サッカー界を読み解く上で貴重なものになるでしょう。

帰国後、ジョホールバルで知り合ったメンバーと連絡先を交換し、後日高田馬場にあったサッカーパブで再会しました。当日の夕刊は突然、山一証券が破産したというニュースが新聞各紙のヘッドラインを賑わしていた時代です。
飲み会では「観るだけではサッカーは理解出来ない。チームを作って一緒にサッカーをプレーしよう!」という呼びかけがあり、「Club-jb」というサッカーチームを結成しました。
「jb」とはジョホールバルの略です。先輩が世界的に著名なアーティストの日比野克彦さんと交流があり、ロゴを創ってもらうという幸運にも恵まれました。ちなみに日比野さんのClub-jbの背番号は8を横にした無限大を表す∞です!
サッカーは小学校以来真面目にやっておらず、というのも中学にはサッカー部がありませんでした。やっていても草サッカー程度。ボールコントロールはこれ以上なく下手。とにかく走るしか能がない選手でした。

その後、2000年に僕が失明をし、悲嘆に暮れている中、ブラインドサッカーが日本に導入され、幸運にも日本代表に選出されました。
大きな目標は2002年5月に日韓ワールドカップを記念してソウルでおこなわれた韓国戦でした。
失明して直後で就職も出来ていない状況だったので、ほとんどの時間を練習につぎ込みました。
オールディーな考えかもしれませんがサッカーにおける韓国との戦いはサッカーの歴史や精神論も相俟って特別です。2012年のU-23のロンドン・オリンピックで銅メダルを惜しくも逃した第3位決定戦では感じましたが、最近は高揚感が限界まで達するようなガチの韓国戦が少ないのが残念。
当時の僕はとにかく韓国戦は負けたくないという一心でした。
当時のことについては僕が主人公になっている 平山譲著『サッカーボールの音が聞こえる』(新潮社)をご覧頂ければと思います。(下記URL参照)

そして最初のブラインドサッカー日本選手権では実行委員長を務め、かつ選手として活動してきました。当然、日本選手権という大きな大会は1人では開催出来ません。そこで協力して下さったのがClub-jbのメンバー達です。散らし配りから設営等、人手不足に悩んでいたところをサポートして頂き非常に嬉しかったです!
メンバーの1人は僕が所属していたチームの監督(それはかなりムチャ振り)に就任してもらいました。そして嬉しかったのが、Club-jbのユニフォームをこの試合のために貸して下さったことです。最初の試合になる人も多く、ユニフォームを買うお金など発生すると負担になり、逃げられてしまうのではという当時の雰囲気もありました。
失明した頃はClub-jbの皆さんとは縁が切れてしまったと思っていました。実は失明したことは皆さんには心配かけたくない、あるいはその時の気持ちが整理出来ずカミングアウト出来ないという時期が1年以上ありました。つまりサッカーで繋がっていた絆が切れれば友情も切れると思っていたからです。しかし言わなくてはいけない時が来ます。それがブラインドサッカーで韓国戦に行ってくるという話がきっかけになり皆と再会しました。ダーツバーで集まって皆暖かく応援してくれました!
ブラインドサッカーという競技に出会い、仲間がサポートして下さり、その絆は以前よりも深くなったのではないかと思います。
それは元を正せば「ジョホールバルの歓喜」という特別な時間を共有出来たのは戦友と言ってもいい絆があったからでしょう。選手と一緒にスタジアムで一丸となって極限の領域で戦ったと思っています。
サッカーの力とは偉大なものです。ブラインドサッカーという競技ではあるものの、いわば使い古された言葉ではありますが、サッカーという共通語が皆との繋がりを生み出し、宇都宮さんが書く「Outside of the Field」の絆が僕を救ってくれました。

そして今回の座談会で昔を懐かしみながらもノスタルジーだけで終わることなく、未来志向な話が出来ました。ちなみに僕はその後、フランス・ワールドカップに行って日本代表2試合、他4試合を観ました。こちらもドタバタ劇でした!

今回良い意味での So Crazyな5人のトークを収録した知られざる「ジョホールバルの歓喜」のサポーター視点というユニークな企画はかなり貴重なので必読です!
是非皆様にもウェブマガジン『タグマ!』に掲載されている記事をご覧頂ければ幸いです。
会員登録が必要になりますが、冒頭の記事は下記サイトで立ち読みが出来ます!
『タグマ!』特別座談会「スタンド目線で語る20年前の歓喜」 サポーターはジョホールバルで何を見たのか?


写真:ジョホールバル集合写真
写真は帰国後の成田空港で撮影。横断幕は僕の制作。近くに人だかりが出来て選手か!?と思って駆け寄ると元ソ連書記長ゴルバチョフでした。それもまた貴重ではありましたが。

石井が主人公の『サッカーボールの音が聞こえる』は下記サイトでご紹介しています!
http://candiesinternational.com/book/

キャンディーズインターナショナル株式会社 代表・作家 石井宏幸

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